2008年08月29日
自分の仕事の価値

10月に出る「森とま通信」の秋号に載せる記事を書きました。
記事を書きながら、そもそも、製材所の存在価値って何なんのか、疑問に感じました。
写真や絵画や家具のように形に残る仕事ではない。
人の心に残る仕事でもない。
木を割ったり挽いたり(引いたり)、小さくマイナスにする作業。
マイナスをプラスに変えていく方法は探っても簡単には見つからない。


山から出て来たナラの木です。まともに製材してもモノになりそうにないので、あちこちひっくり返して製材して椅子にしました。
これも、仕事というより趣味の世界の作業だと思うと、本当に木を活かしてあげられたのかどうか、これでよかったのかどうか、妙な形の製材をすると感じます。小さく割って積み木にでもした方がよかったのかも。
小さくするのはいつでも出来るので、とりあえずこの木はこれで良しとしますが、屋外に置くとナラの木は容易に朽ちてしまうので、いずれまた手をかける必要が出来ます。
Posted by hibari at 20:53│Comments(4)
│雑記
この記事へのコメント
こんにちは。
製材所の仕事がマイナスの作業だなんてとんでもない(`´)
山から出してきた材料を製材所さんが加工出来る段階まで整えてくれて、乾燥して保管してくれて、そんな気が遠くなるような作業があってはじめて私達が仕事できるわけで、建築も家具も製材所さんの根っこにささえられています。
桑様を三宅島から運んでつくづく感じたのですが、あの桑様も、うちで引き取らなければ今頃は畑で腐るのを待つだけでした。
しかし、運んでみたものの製材するまでは、ダンナも家具へのイメージが持てなかった。
製材してくれた親方が、木の目を読んで、転ばせながら、面白い木目を探り探り製材してくれてはじめて「ここはこう使おう!」などど次の展望が開けた次第です。
昨今、木のことを全く知らないデザイナーや製作者が増えています。
木の持つ可能性と、強さと、弱さと、長く木を使い続けるアイデアを伝授できるのは、他でもない製材所さんだと思っています。
このナラのベンチも、最後には積み木などになるのでしょうが、「露地でナラ無垢を無塗装で使うとこうなっていく。」という経験は、いきなり積み木を作ってロスを少なくするよりも、はるかに有意義のように思います。
その経験をもとに材料を選んでもらえたら、製作者として、こんなに嬉しいことはありません。
製材所の仕事がマイナスの作業だなんてとんでもない(`´)
山から出してきた材料を製材所さんが加工出来る段階まで整えてくれて、乾燥して保管してくれて、そんな気が遠くなるような作業があってはじめて私達が仕事できるわけで、建築も家具も製材所さんの根っこにささえられています。
桑様を三宅島から運んでつくづく感じたのですが、あの桑様も、うちで引き取らなければ今頃は畑で腐るのを待つだけでした。
しかし、運んでみたものの製材するまでは、ダンナも家具へのイメージが持てなかった。
製材してくれた親方が、木の目を読んで、転ばせながら、面白い木目を探り探り製材してくれてはじめて「ここはこう使おう!」などど次の展望が開けた次第です。
昨今、木のことを全く知らないデザイナーや製作者が増えています。
木の持つ可能性と、強さと、弱さと、長く木を使い続けるアイデアを伝授できるのは、他でもない製材所さんだと思っています。
このナラのベンチも、最後には積み木などになるのでしょうが、「露地でナラ無垢を無塗装で使うとこうなっていく。」という経験は、いきなり積み木を作ってロスを少なくするよりも、はるかに有意義のように思います。
その経験をもとに材料を選んでもらえたら、製作者として、こんなに嬉しいことはありません。
Posted by フォレストビュー/いちかわ at 2008年08月30日 08:48
「自分の仕事の価値」
とても魅力的なテーマですね。
私も半年ブログを続けていますが、こういうこと、まとめておく機会がありませんでした。
hibariさんの記事に触発されて私も考えて見たいと思っています。
とても魅力的なテーマですね。
私も半年ブログを続けていますが、こういうこと、まとめておく機会がありませんでした。
hibariさんの記事に触発されて私も考えて見たいと思っています。
Posted by kittsan at 2008年08月30日 09:39
フォレストビュー/いちかわさん。
いつも嬉しいコメントありがとうございます。
仕事というのは、その仕事を楽しんでしている時はいいのですが、何とかモノにせねば(お金にせねば)と気負っている時は駄目なんですね。
昔の木挽きさんは、1日中、木を眺めて、2日目に鋸を入れるというくらいしっかりと木を見て仕事していたから、木の中が思うように読めたと思います。
今の製材所にその技術は無くなってきています。自分に人に伝えられるだけのその技術があるか?という疑問から、こんな記事になってしましました。
これからも精進いたします!
いつも嬉しいコメントありがとうございます。
仕事というのは、その仕事を楽しんでしている時はいいのですが、何とかモノにせねば(お金にせねば)と気負っている時は駄目なんですね。
昔の木挽きさんは、1日中、木を眺めて、2日目に鋸を入れるというくらいしっかりと木を見て仕事していたから、木の中が思うように読めたと思います。
今の製材所にその技術は無くなってきています。自分に人に伝えられるだけのその技術があるか?という疑問から、こんな記事になってしましました。
これからも精進いたします!
Posted by hibari
at 2008年08月30日 20:55

kittsanさん。いつもありがとうございます。
好きでやっている部分の仕事と、仕事としてこなしているだけの仕事と、明らかに気持ちのノリが違います。
好きでやっている部分がもっと増えてくれば、それが自分にとっての価値になるはずですが・・・また自問自答が続きます(笑)。
好きでやっている部分の仕事と、仕事としてこなしているだけの仕事と、明らかに気持ちのノリが違います。
好きでやっている部分がもっと増えてくれば、それが自分にとっての価値になるはずですが・・・また自問自答が続きます(笑)。
Posted by hibari
at 2008年08月30日 21:08
